2007年春、起動!
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今日は中山競馬場へ行ってきました。
そしたら、やっぱりいました丸山侯彦氏。
そんなん携帯で連絡取ればいいのに――と思われるかも知れないのですが、よく考えたら丸山氏の携帯の番号を管理者は知らなかったですよ(爆)。
センセイ(務元調教師)はお仕事だそうで、お会いできなかったのが少々残念でしたが。
そりゃ、まあ、息子さん(元気騎手)のデビューですしね、終始、落ち着かない様子でした。
ちょっと競馬を長くやっている人でしたら、「あの丸山侯彦の息子」ということはご存知ですから、注目を集めていたわけですけど。
我々の近くにいるお客様が、「そういや親父も公営の騎手だったよなー」「高崎だっけか?」「タマルファイターに乗ってたよな」なんて話を、斜め後ろに本人が居るのも知らずにしているのを聞こえてきて、そのビミョーな緊張感に耐え切れず、「アンタらの後ろに居るぞ」とよっぽどいってやろうか、と思ったというか、私は噴き出すのをこらえるのが精一杯でした。
丸山さんは「オレ、恥ずかしくなってきたよ」と小さくなっちゃうし。
一応、お父上から見た元気騎手評――「馬を乗るのは上手いが、競馬がヘタ」、「ガマンが利かない」。
3、4、7Rと、ほぼその評のまんまの騎乗でしたねえ……ただ7Rについては、「佐賀から入ってきたばかりの馬で、あそこまで見せ場作れたんだから、良いんじゃね?」とお褒めの言葉も。
そうそう、一倉センセイも来ておられましたよ。
あ、また携帯の番号を聞きそびれた(笑)。
まあ、いいや、またどこかで会う機会はあるさ。
そしたら、やっぱりいました丸山侯彦氏。
そんなん携帯で連絡取ればいいのに――と思われるかも知れないのですが、よく考えたら丸山氏の携帯の番号を管理者は知らなかったですよ(爆)。
センセイ(務元調教師)はお仕事だそうで、お会いできなかったのが少々残念でしたが。
そりゃ、まあ、息子さん(元気騎手)のデビューですしね、終始、落ち着かない様子でした。
ちょっと競馬を長くやっている人でしたら、「あの丸山侯彦の息子」ということはご存知ですから、注目を集めていたわけですけど。
我々の近くにいるお客様が、「そういや親父も公営の騎手だったよなー」「高崎だっけか?」「タマルファイターに乗ってたよな」なんて話を、斜め後ろに本人が居るのも知らずにしているのを聞こえてきて、そのビミョーな緊張感に耐え切れず、「アンタらの後ろに居るぞ」とよっぽどいってやろうか、と思ったというか、私は噴き出すのをこらえるのが精一杯でした。
丸山さんは「オレ、恥ずかしくなってきたよ」と小さくなっちゃうし。
一応、お父上から見た元気騎手評――「馬を乗るのは上手いが、競馬がヘタ」、「ガマンが利かない」。
3、4、7Rと、ほぼその評のまんまの騎乗でしたねえ……ただ7Rについては、「佐賀から入ってきたばかりの馬で、あそこまで見せ場作れたんだから、良いんじゃね?」とお褒めの言葉も。
そうそう、一倉センセイも来ておられましたよ。
あ、また携帯の番号を聞きそびれた(笑)。
まあ、いいや、またどこかで会う機会はあるさ。
PR
この記事にコメントする